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●徳川家茂(14代目)

1)征夷大将軍としての在任期間
 8年 (安政5(1858)12.1 ー 慶応2(1866)8.1l)

2)没年
 慶応2.8.20 (20歳)

3)父:徳川斉順、母:実成院

将軍就任の前は御三家紀州藩第13代藩主。

4歳で紀州藩主に、13歳で第14代将軍となった。 血筋だけでなく英明な風格を備えており、勝海舟をはじめ幕臣からの信望厚く、忠誠を集めたと言われている。

政略結婚ではあるが、和宮に対してたびたび贈り物をするなど非常に気を遣い、2人の関係は良好で、徳川家歴代の将軍と正室の中で最も夫婦仲がよいといえたのは家茂・和宮であったといわれたほど。

1858年、将軍となった。家茂はこの時13歳という若年であったが、第11代将軍・徳川家斉の孫に当たるという経緯から、慶喜を抑えて将軍に就任したのである。とはいえ、1862年までは田安慶頼が、その後は一橋慶喜が「将軍後見職」に就いていたため、その権力は抑制されていた。

1866年、家茂は第2次長州征伐の途上大坂城で病に倒れた。この知らせを聞いた孝明天皇は、典薬寮の医師である高階経由と福井貞憲の二人を大坂へ派遣し、その治療に当たらせた。しかしその甲斐なく、家茂は大坂城にて薨去した。あまりに若すぎるその死は、一説に毒殺とも言われている。

家茂はわずか20年の生涯であったが、幕末の動乱期の中をその若さで潜り抜けていることは高く評価されている。勝海舟からは、「若さゆえに時代に翻弄されたが、もう少し長く生きていれば、英邁な君主として名を残したかもしれない。武勇にも優れていた人物であった」と評価されている。

また、幕臣からも信望が厚かったと言われ、家臣や女性や動物たちに至るまで非常に優しい態度で接する一方、剛毅な一面を持つ人柄が明治後に旧幕臣たちなどからさまざまな逸話で伝えられている。

 


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