|
●徳川家斉(11代目)
1)征夷大将軍としての在任期間
50年 (天明7(1787)4.15 ー 天保8(1837)4.2)
2)没年
天保12.l.30 (68歳)
3)父:徳川治済、母:慈徳院
御三卿の一橋家2代当主徳川治済の長子。第8代将軍徳川吉宗の曾孫。
幼少期から異様な性癖があったと伝えられている。蟹や鶏を相手にして踏み潰したり殴り殺したという残虐な逸話がある。しかし、安永8年(1779年)に家治の世嗣・徳川家基が急死したため、父と意次の裏工作、並びに家治に他に男子がいなかったため、第10代将軍・徳川家治の養嗣子になり、さらに天明6年(1786年)に家治が50歳で急死すると、翌年15歳で将軍職に就任した。治世の初期、田沼意次を廃して白河藩で名君の誉れ高かった松平定信を老中に登用して寛政の改革を推進、綱紀の粛正を図った。
特定されるだけで40人の妻妾を持ち、男子26人・女子27人の子をもうけ、その息子たちの養子先に選ばれた諸国の大名の中には家督を横領されたものもあった。また、家斉にはそのほかにも妾がいたとも伝えられており、御落胤は数知れず、それら膨大な子供たちの養育費が、逼迫していた幕府の財政を更に圧迫することとなり、やがて幕府財政は破綻へ向かうこととなった。
|