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●徳川家宣(6代目)
1)征夷大将軍としての在任期間
3年 (宝永6(1709)5.1 ー 正徳2(1712)10.14)
2)没年
正徳2.10.14(50歳)
3)父:徳川綱重、母:長昌院
寛文2年(1662年)4月25日、徳川綱重の長男として江戸根津邸にて生まれる。父が正室を娶る直前の19歳の時に身分の低い26歳の女中に生ませた子であったため、世間をはばかって家臣の新見正信に預けられ、新見左近と名乗った。
9歳のとき他の男子に恵まれなかった綱重の世嗣として呼び戻され、元服して伯父である4代将軍・徳川家綱の偏諱を受けて「綱豊」と名乗り、延宝6年(1678年)の父の死後、17歳で家督を継承し、祖母・順性院(祖父・家光の側室で父・綱重の生母)に4代将軍・家綱の次の将軍になるために育てられた。
宝永6年(1709年)、綱吉が亡くなり、48歳で第6代将軍に就任すると悪評の高かった生類憐れみの令や酒税を廃止するなど気概を示したため、庶民からの人気と期待は高かった。柳沢吉保を免職し、間部詮房・新井白石を登用して文治政治を推進し、荻原重秀に命じて財政改革を試みたが、在職3年後の正徳2年(1712年)10月14日に死去。享年51。後を子の徳川家継が継いだ。
法名:文昭院殿順蓮社清譽廓然大居士。墓所:東京都港区の三縁山広度院増上寺。
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