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●徳川家光(3代目)

1)征夷大将軍としての在任期間
 28年 (元和9(1623)7.27 ー 慶安4(1651)4.20)

2)没年
 慶安4.4.20 (47歳)

3)父:徳川秀忠、母:崇源院

同時代では、大久保忠教『三河物語』において、少年時代の家光は内気であるが、家康の祖父松平清康に通じると好意的評価をしている。

東照大権現として祀られた祖父の家康に対しては敬神していたといわれ、寛永13年(1636年)に東照宮を造営すると、日光社参を生涯で10回と頻繁に行っている。春日局筆と伝わる「東照大権現祝詞」には、病弱で3歳時に大病した家光が家康の調薬によって快復した、以後も病に臥せるたびに家康の霊夢によって快復したとする逸話が伝わる。また、家康の命日と家光の生誕日が17日と一致していることや、世継決定における家康の裁断、家光自身も家康の恩徳を記す文書を残し、狩野探幽に家康の像を描かせていることなどから、祖父家康の恩を意識していたと考えられている。

当時の男性の常として男色を極めて好み、とりわけ若い時分には女性を一切近づけなかった。中年を過ぎても世嗣を儲けなかったため、世継ぎのことを心配した春日局が家光好みの女中を召し寄せたという。家光の衆道愛好と大奥の創設とは特に関係はない。

家光は幕藩体制の完成者として高く評価される一方で、日光東照宮の建設などに家康以来の蓄積を使い、幕府財政窮乏の端緒を作ったとも言われる。鎖国政策に関しては宣教師を通じた欧州各国の内政干渉と植民地化を予防し、日本の独立主権を保持することが本来の目的とされる。また、朝鮮通信使が、将軍職就任祝賀の時のみならず跡継ぎ徳川家綱誕生祝賀や天下泰平祝賀のときにも来日している。

 


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